◆寝覚の床/木曽義仲◆

寝覚の床(木曽郡上松町)
寝覚の床(木曽郡上松町)
■寝覚の床(ねざめのとこ) 【2009.06.03】

 どうしてこう呼ばれるようになったんですって?。散策路の途中に次のように説明されています。

 史跡名勝天然記念物 中央アルプス県立公園 「寝覚の床」

 「寝覚の床」は、木曽川の激流が花崗岩の岩盤を長い年月にわたって浸食してできたもので国の史跡名勝天然記念物に指定されています。
 岩盤に見られる水平方向と垂直方向に発達した方状節理(割れ目)やポットホール(欧穴・対岸の岩にあいた丸い穴)は、日本でも代表的なものです。
 また、俳人正岡子規が「誠やここは天然の庭園にて・・・・・・仙人の住処とも覚えて尊し」と感じ入ったこの絶景は、古くから浦島太郎の伝説の舞台としても有名です。龍宮城からもどった太郎は、諸国を旅してまわり、途中で立ちよった寝覚の床の美しさにひかれて、ここに住むようになりました。
 ある日、昔を思い出して岩の上で玉手箱を開けてみたところ、中から出てきた煙とともに、見る見る太郎は三百歳の老人になったと言い伝えられています。
 岩上の松の間にある小さな祠は、その浦島太郎をまつる”浦島堂”です。

 上松町
 
 国道19号からかなり急な階段を下り、中央本線のガード下をくぐると散策路に出ます。突然に開けるいちめんの岩盤はその大きさに圧倒されます。

命名の由来は?命名の由来は? 下に説明が...下に説明が... 説明表示板説明表示板
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■木曽義仲(木曽郡木曽町) 【2009.06.03】

 義仲館の受付の方が印象的でした。

  「木曽義仲ってどんな人?」
  「そんなこと聞いてくださるな、アルバイトだもの」
 と前置きしつつ、とくとくと語り出しました。

 その語りが名調子で面白くてしばらく入口で立ちん棒...。義仲にまつわる裏話から当時の浮世話まで、とにかく話好きの好老子でした。

 すっかり予備知識を得、さて、館内を見学。

 義仲31歳の若さで闘死した『粟津ヶ原の戦い』に始まり生涯の主要な場面が100号以上もある油絵にしたためられていました。

 順を追うごとに若くなる?一周間近になってようやく逆の道順で見学しているのに気付いた始末...。
 もちろん、正しい道順で再度見学しましたよ。(エヘッ)

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 義仲館の西側すぐ奥に義仲公の菩提寺「徳音寺」があります。その入口に大きな歌碑があり、思わすデジカメのシャッターを切りました。次のような歌が刻まれています。

木曽川挽歌  作詞:山内敏暉
       作曲:豊光宏仲

木曽の松風日義の里に
若き血潮が吹きあげる
平家伐たんと義仲公よ
燃えし精魂今いずこ
治承四年春弥生

若名御前や帰らじの旅
神の情けの儚さは
歴史の跡を木曽川端に
一つ葉繁る観音堂
八百余年夢はるか

雨の横吹き若葉が一つ
悲恋に散りし語り草
悠久挽歌ちらちらしびれ
しのぶ昔を川が知る
美濃の哀歌よ地蔵尊
  

巴御前/木曽義巴御前/木曽義仲 義仲公の墓(菩提寺「徳音寺」境内)義仲公の墓(菩提寺「徳音寺」境内) 木曽川挽歌(「徳音寺」入口)木曽川挽歌(「徳音寺」入口)
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