◆来訪【緑の会の仲間達】◆ |
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![]() 伊那山地を望む(2010.04.11 12:32)
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■2日目:ソースかつ丼 【2010.04.18】
宿泊は「仙流荘」でした。 昨晩は、温泉につかり夕食後は久しぶりに腹を割ってのお話ができました。こんな風にして話し合うのはほんと、30〜40年ぶりのような気がします。 鋸山(のこぎりやま、2,607m)から差す朝日を眺めながらの朝風呂は格別でした。朝食の前に宿の南側を流れる黒川の河原を散歩しました。コヒガンザクラはここでも満開です。 「仙流荘」をチェックアウトした後はふたたび「長谷の家」に寄り、しばしコーヒータイム。 昼食は、『心』と『秋』お勧めの駒ヶ根名物「ソースかつ丼」を食べに行きました。「うまい!」と一口食べて大食らいのMくんがうなりました。そう、とにかく美味いんですよ、ここのは。えっ、お店の名前?「いな垣」です。 光前寺へ行く途中の水仙畑を案内し、そこでお別れしました。近いうちにまた会おうと約束して...。 |
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*** 『緑の会』 と 『人生手帖』 *** |
◆その後、時代の波が一億総中流化へと進むにつれ、苦労体験記と励ましに基盤を置いた若者たちのつながりは次第に薄れていきました。『人生手帖』の発行部数も昭和37年(1962年)頃には2〜3万部にまで落ちました。
◆昭和49年(1974年)、『人生手帖』は『健康ファミリー』となり自然食を中心とした雑誌に変遷しました。『緑の会』支部数は200を切り、活動の中心も「人生いかに生きるべきか」から「その根源である健康体、すなわち自然食の追及」へと移り変わっていきました。豊かになり始めた若者の求めるものが大きく変化してきたのです。
◆こうして、人生雑誌『人生手帖』の読者を中心とした文化サークル『緑の会』は、一時代の使命を終え次第に縮小していきました。
参考文献:『「つきあい」の戦後史―サークル・ネットワークの拓く地平』 天野正子著 吉川弘文館