■木曽駒ヶ岳登山(1日目) 【2012.09.24】
登りは、桂木場(かつらこば)からスタートです(7:30)。 今はこのルートを行く人は希少とのことですが、あえてこのコースを選んだのには二つの理由があります。 一つは、映画「聖職の碑」で生徒たちがたどったコースを歩いてみたい、『遭難記念碑』をこの目で見てみたいという思い。 もう一つは『西駒山荘』の建て替えが決まり石室での宿泊は今年が最後となったことです。 でも、下山はちゃっかり楽なコース(頂上から千畳敷ロープウェイまでの標高差344mを下るコース)を選びました。なぜかって?桂木場から頂上までの標高差は1,676mもあります。帰りにもこの桂木場ルートを利用するには登山歴2年目の私たちにはとても無理だと判断したものですから。 -------------------- 登山計画書は備え付けの用紙が切れていたので、たまたま持ち合わせていた封筒を切り開いて代用しました。 宿泊先の西駒山荘を目指して初秋の風景を楽しみながら登りました−私たちのペースで−。時々薄日が差し込み、足元は快いクッションを感じました(前日の雨で適度な湿り気がありました)。 五合目(大樽避難小屋)でトイレを発見!実にグッドタイミング。早速、用足し&休憩タイムとしました(10:15〜10:30)。 この辺りからきつい上り坂に変わり、ずいぶん長く続きました。胸突き八丁の頭の標識(13:06)から茶臼山分岐点を過ぎて分水嶺の標識(13:22)を見つけた時はホッとしました。 でも、ホッとしたのもつかの間、急にガスが出てきて、またたく間に視界がさえぎられてしまいました。 メモしておいたコースガイドでは「水平道を30分ほどで西駒山荘」とあったので軽い気持ちで歩を先に進めたのですが、分水嶺と書かれた標識(13:36)にまたぶつかりました。どうやら先のものとは別のものらしいけれど、振り返っても辺りはガスでほとんど見えません。 「ほんとうにこの道でいいのだろうか?」この時初めて不安になりました。 『西駒山荘、水場、夏道』と書かれた標識(地面に置かれていました)の指示している方向を確かめ、ごつごつした岩の稜線を手探り状態で進みました。不安は更につのり、岩が山荘に見えたりもしました。 水場の標識(14:11)を見つけ休憩しようとリュックを下ろしたところ、ガスの切れ目から突然目の前に建物が現れました。目当ての山荘です。よかった! (この間、20分程でしたがとても長く感じられました。) 無事到着! -------------------- 石室で宿泊できるのは今年が最後です。建て替える前に一度泊まってみたいという一心でこの山荘を訪ねました(今回の登山の目的の一つでもあります)。 夕食に名物のカレーライスをいただきました。うわさのとおり、美味しくて山盛りのおかわりをしてしまいもう食べ過ぎ!おまけに食べるのに夢中になって写真を撮るのを忘れてしまいました。 その後、居合わせた登山者たちと歓談し、山小屋ならではのひとときを楽しみました。 (一日目の所要時間約6時間40分) |
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■木曽駒ヶ岳登山(2日目) 【2012.09.25】
この日の早朝はガスのためご来光を拝むことができませんでした(前日のご来光は素晴らしかったそうです)。 朝食後、山荘の東裏手の山(将棊の頭というそうです)に登ってみました。雲の切れ間から眼下に町並みが見えます(宮田村方面でしょうか?)。南アルプスの山並みは雲がかかっていてはっきり見えないのが残念でした。 でも、出発する頃(8:50)には打って変って秋晴れに変わり、絶好の登山日和となりました。 -------------------- まずは将棋頭山(2,730m)を目指します。 将棊頭山標識の脇に荷物を置いて向かいます。ほんの1〜2分のところに「天水岩」と書かれた木の標識があり、「雨水(天水)が溜まって日照りでも枯れないという」と記されていました。岩の上に登ってその水たまりに手を入れてみたところ、「意外と冷たい」。 前日の夜から一緒になったNHKの取材班(7〜8名)が将棋頭山の頂上付近で撮影をしていました。なんでも、BSプレミアムに「日本百名山シリーズ」というのがあり、そこで紹介する木曽駒ヶ岳の取材で西駒山荘を拠点に数日間の日程で行動しているということでした。 放映時間を尋ねたところ、10月29日(月)午後7:30〜8:00とのこと。ぜひ見なくてはね。 -------------------- 将棋頭山分岐点まで戻り、さあ、木曽駒ヶ岳山頂を目指して出発です(9:30)。 次に目指すは『遭難記念碑』です。 色づき始めたナナカマドの群生を左手に見ながら15分ほど行くと数個の岩が目に飛び込んできました。ここです、今回の登山行きの二つ目の目的地。 旧・中箕輪高等小学校(現・箕輪中学校)の山岳集団登山で悪天候に遭い11名(総勢37名中)の犠牲者を出した気象遭難事故(1913年=大正2年)からもう百年近が経ちます。 当時建てられた碑は風化が激しく文字が読み取り難くなくなっていて、その手前に少し小ぶりな新しい碑が建てられていました。 慰霊碑ではなく記念碑としたところに当時の悲惨な思いを後々の人々に残していこうという建立時の強い願いを感じました。 -------------------- 八合目の標識・濃ヶ池分岐点(10:37)を過ぎると馬の背の稜線に出ます。ここからは急な岩場の連続です。木曽駒ヶ岳の山頂もその奥の方に見えます(すぐ近くのように見えますが...)。 途中、驚くほどの巨岩群が行く手を阻んでいました。この岩を右に巻いて登るようにロープが張ってありますが眼下は断崖絶壁の谷底で、一つ間違えば真っ逆さまに転げ落ちかねません。でも、その間はほんの数歩。難なく巻けました(11:23)。 谷底から冷風が吹き上げてきます。気持ちいい! しばらく続いた岩場を登りきると、眼下(東側)に濃ヶ池カールが開けました。広大な扇状地に小さな池(濃ヶ池)がぽつんと見えます。かつては豊富な水量をたたえていたと聞きますが、今はその面影すら感じられません。 -------------------- 大きな岩場からやがて小さな瓦礫になり緩やかな傾斜にさしかかると中岳や宝剣岳が身近に見えるようになってきました(11:55)。 頂上山荘からの巻き道と合流する分岐点の標識(12:04)を過ぎ、15分ほど登ると山頂の祠(ほこら)が見えてきました。 -------------------- 12時25分、木曽駒ヶ岳山頂(2,956m)に到着しました。 頂上からの眺望は、御嶽山も北アルプスも南アルプスも山頂辺りは雲がかかって大パノラマとまではいきませんでしたが、期待していた以上にスヶールが大きく「うわぁ、すごい!」の連発でした。 -------------------- 当初、宝剣岳(2,931m)に登る予定はありませんでしたが、天候も体調も良く、体力も余っていたので挑戦しました(『心(しん)』のみですが...)。 鎖をつたっての急峻な岩場を行くのは初体験です(『秋』は無謀そのものとあきれていました)。 頂上(14:15〜14:25)には男性二人とかなり年配の女性がいました。「大丈夫だよ、足滑らせても俺が吊あげてやるから!」と山男らしい大声で話しているのを聞いて、男性の内の一人が年配の女性の息子さんだとすぐに分かりました。二人はロープでしっかりと結ばれていましたが、無謀なこと(お互いに)。 それにしても眺望は最高でした。 でも、さすがに頂上の岩の上にまで登る勇気(無謀さ)はありませんでした。 -------------------- 乗越(のっこし)浄土から千畳敷ロープウェイ乗り場までの下りでは多くの登山者とすれ違いました。 やはりちらこのルートは人気があるようです。 (二日目の所要時間約2時間30分、「宝剣岳」往復約40分間を含めて) お疲れさまでした。 -------------------- <旅程> ◆ 一日目 伊那市役所→(タクシー)→桂木場→西駒山荘(泊) ◆ 二日目 西駒山荘→将棊頭山→木曽駒ヶ岳→中岳→宝剣岳→ 千畳敷駅→(ロープウェイ)→しらび平駅→(バス)→ 駒ヶ根駅→(飯田線)→伊那市駅→(徒歩)→伊那市役所 ※伊那市役所、自宅間はマイカーを使用 -------------------- |
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